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日本の自動車産業は、世界に誇る圧倒的な優位性を保持した産業と言っていいでしょう。
今や、トヨタ自動車やホンダは、世界の各地域で市場シェアを拡大し、これまでの覇者である欧米メーカーを窮地に追いやる勢いで成長を続けています。
かつて世界の覇者と思われてきたゼネラル・モーターズ(GM)やフォードは収益の悪化に苦しみ、事業再構築を強いられており、彼らの圧倒的な数量規模をトヨタ自動車が抜き去るのはもはや時間の問題です。
まさに、われわれは日本の自動車産業が繁栄を極める世紀を過ごしています。
しかし、この日本車の成功は平穏に獲得されたわけではありません。
成功と挫折を繰り返しながら、劇的な成長ドラマの中で、現在の日本の自動車産業が形作られてきたのです。
広範な関連産業を持つことで知られる自動車産業ですが、それらは製造・販売をはじめ整備・資材など各分野にわたっています。
日本自動車工業会の推計によれば、これら自動車産業に直接・間接に従事する就業人口は、約486万人に上ります。
これは、わが国の全就業人口6,329万人の7.7%に当たります。
自動車関連産業を大きく5つにブレークダウンしてみましょう。
トヨタ自動車やホンダといった完成車メーカー、デンソーなどの自動車部品会社などを含めた「製造部門」では、およそ74万人が働いています。
そのうち、自動車製造業では約16万人が、自動車部品製造業や自動車車体製造業では58万人が働いています。
つまり、完成車メーカーで働く人よりもはるかに多くの人が、部品会社などで働いていることになります。
自動車業界は、完成車メーカーを頂点に、1次部品メーカー、2次部品メーカー、さらに3次部品メーカーといったようにピラミッド型の構造をしていますが、就労人□の比率を見ても、それがよく分かるのではないでしょうか。
自動車関連産業には、その他に貨物運送業やバス、タクシーといった旅客運送業などの「利用部門」があり、実に264万人が働いています。
利用部門には駐車場業や倉庫業なども含まれます。
また、ガソリンスタンドなどの「関連部門」には約33万人、鉄鋼や電気機械器具などの「資材部門」には約10万人が従事しています。
自動車は、その大きな特徴として、購人後にメンテナンスが必要不可欠であるということが挙げられます。
そのため、各完成車メーカーは独白に販売・サービス網を構築してきました。
トヨタ東京カローラや神奈川日産といった販売会社で働く人は、先の分類では「販売・整備部門」に含まれます。
その規模は大きく、実に105万人もの人が働いています。
そのうち6割以上が、自動車小売業もしくは自動車整備業に従事しています。
1台の自動車は、2万~3万点もの部品が組み合わされて造られます。
そして、部品の種類は鉄鋼から電子制御システムまで多岐にわたっています。
そのため、完成車メーカーは自社で部品を作るだけでなく、部品の一部を外注し、タイヤ、バッテリーなど完成した構成部品を購入して車を生産しています。
購入する部品には、外国製のものも多く、昨今の海外生産の増加や厳しいコスト競争により、各社の購買行動はグローバル化か進んでいます。
数多くの部品を調達し、高い品質を守りながらコスト削減を行い、市場で受け入れられる車を造るということは、完成車メーカーのみならず部品メーカーや素材メーカーの関与が必要で、まさに総合力が問われると言えます。
しばしば「一大総合産業」と呼ばれる所以は、ここにあるのでしょう。
自動車産業は日本の基幹産業です。
広い裾野を持ち、直接・間接に従事する就業人口が非常に多いことは、すでに説明した通りです。
裏を返せば、多くの雇用を生み出している、とも言えます。
加えて、多くの設備投資や研究開発投資を行っており、その動向は日本の経済全体に影響を与えるほどのインパクトがあります。
2005年度の主要製造業の設備投資計画額を見ると、自動車は全体の25%を占め、他の業界を大きく上回っています。
研究開発費の04年度実績では、自動車は18.1%と、情報通信機械器具の20.2%に次ぐシェアとなっています。
2004年の自動車製造業の製造品出荷額は45兆8,000億円に達します。
また、全製造業の製造品出荷額等に占める自動車製造業の比率は、16.1%となっています。
1970年の7.9%、80年の9.9%、90年の13.1%と比較すると、自動車製造業が、日本の製造業の中で存在感を高めてきていることが分かります。
と同時に、その牽引役であったことも窺い知れます。
もともと、自動車産業は1880年代末に欧州で生まれ、米国おける高い動力技術と大量生産技術によって産業として確立されました。
その後、米国メーカーの世界的な繁栄が長期にわたって続いてきました。
日本の自動車産業は第2次世界大戦後に実質的な黎明期を迎え、世界的には最後発に近い脆弱なメーカーにすぎませんでした。
1960年代になると、日本の自動車産業は大きな発展期に入り、強い輸出ドライブをかけた結果、1980年にはビッグ3を脅かす存在にまで急成長します。
「日米逆転」や「日本車脅威論」が囃されたのはこの頃です。
この当時の日本自動車産業は、廉価な人件費と設備コスト、為替レートに恵まれ、成功を収めました。
しかし、このような不公平とも受け取られる条件に基づく繁栄は長続きしませんでした。
為替の不均衡を是正する「プラザ合意」では、劇的な為替調整の影響を受け、輸出採算は多大なダメージを受けました。
「アンフェア(不公平)だ」「日本は失業を米国に輸出している」という感情的な反発が米国市場に生まれ、1990年代には深刻な政治問題と化していきます。
やがて、日米構造協議という、日米が国家の威信をかけた戦いの場で、自動車産業は攻撃の中心となります。
日本車メーカーは、この時、日本という母なる市場から脱皮し、真のグローバルメーカーへの道を踏み出すという、新たな戦略の選択を迫られたのです。
米国ビッグ3が日本車メーカーを追い越したという「日米再逆転論」が1990年代を通して支配的でした。
為替調整、貿易規制という外部圧力を受け、日本車メーカーの欧米市場における成長は頭打ちとなりました。
1998年には、独ダイムラーと米クライスラーの衝撃的な合併劇が起こり、その直後から、世界的な自動車産業の合従連衡の激流が続きます。
「400万台の世界生産台数規模のない自動車メーカーは生き残れない」。
当時、「400万台クラブ」という言葉が生まれ、根拠に乏しい規模の獲得合戦が繰り広げられました。
この世界的な合従連衡のリード役を果たしたのが欧米メーカーでした。
また、米国メーカーを中心に、「脱・製造業」「総合サービス産業への転換」といった自動車産業における新しいビジネスモデルの構築が打ち出されたのもこの頃です。
こうしたなか、日本車の比較優位は一段と後退し、世界的な寡占化か進むと当時は考えられていたわけです。
自動車産業は「オールド・エコノミーの星」と鄭楡され、構造的な収益構造の悪化が懸念され、業界の未来は暗く、閉塞的なものと考えられていました。
幸いにも、業界の潮流は、一部で懸念されたようには進みませんでした。
脱製造業を目指し、サービス業への業容転換を狙った米国ビッグ3のビジネスモデルは行き詰まり、現在ではむしろ本業への回帰が急ピッチで進められています。
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